「おんなじことを何度もうたう」短歌ワークショップに参加して

短歌のワークショップに参加した。
もとから詩とか短歌を読むのは好きで、ハルカトミユキと出会って、ハルカさんに出会ってからはより好きになっていた。

大阪でやってくれるなら応募してみるかと応募してみて、チケットがあたったのはいいものの、短歌を詠んだこととかないし、詩みたいなものを書いてみることはあれどもなかなか人に見せるような感じでもなくという自分が参加しても大丈夫かなという不安と緊張もあったけれど、まぁなるようになるだろうから楽しもうという気持ちで当日を迎えた。

ワークショップは本当によく設計されているものだなと思った。はじめにゲームでウォーミングアップして、そのあと57577の形ではない文章を書くことからはじまり、そのときにふたつのキーワードをランダムで引いて使うことになる。このキーワードのおかげか、頭からどんどん言葉が出てくる。そして2分ほどで300字ほどのよくわからない文章が出来上がった。そうして出来上がった文章を全員で読み上げていくのだけれど、他の人の書いた文章がまたとてもよくて、人の書いた生まれたての言葉を浴びれる時間というのがとても幸せだなと思った。自分の書いた文章は本当に脈絡のないもので、まぁ自分はそういうのが好きなんだけど、それを声に出して読むのはけっこうはずかしかった。隣に敬愛してやまないハルカさんがいたし(!!?)。

上に書いたように、自分は人の紡ぎ出した言葉や、人が見ていた景色(の写真)を見るのがとても好きだ。自分の人生には触れることのなかったはずの瞬間や生活や人生の断片を見ることができるというのは、人間に生まれた特権だと思う。
言葉というものは、人類が世界から絞り出したエッセンスのようなもので、言葉があるから他人の世界に触れることができるし、言葉があるから時間を越えて過去を知ることができる。言葉を通じて自分の世界に無いものを自分のものにできるとまでは言えなくても、受け取ることができる。

ひとが書いた言葉を十分に浴びて、自分から出てきたばかりの生モノのような言葉をひとに晒して、そんな経験もなかなかできないなと思いつつ、そこから57577のリズムに落とし込む、あるいは再編することで短歌にしていくということがはじまる。やはりここでは悩む。どこを使ったものか、はたまたどう補完して短歌で成立させるか。自分はどうしても少し説明してシーンを作りたくなってしまうクセはあるなと思ったけど、まぁ今回はべつにそれを制する必要もないかと思った。使いたい言葉がいくつかあったものだからちょっと止まってしまって周りをふと見てみたら、正面に座っていた人が二首書いていたので、あぁ真似しちゃおうと思って結局二首書いた。

繋がっているようで繋がっていないような二首の短歌ができた。でもこのふたつはたしかにひとつの文章から生まれたものだということを自分だけは知っている(WS参加者もだけど)これは面白いことだなと思った。自分の中ではなかなかお気に入りの短歌になった。

他の人の短歌も、お世辞とかでなく本当にいい短歌だった。そこには個性や個々の世界観、感情または情動、生活や経験が見えて、それは並べて尊いものだと思った。

2時間半ほどのワークショップで得られた経験や気付きはこれから自分が言葉と向き合っていく上で本当に大きなものになることと思います。この記憶と経験は宝物です。ありがとうございました。

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